(新しい)置き場

ごそごそしています

意外と近くにいた小泉八雲

kwaidan

小泉八雲という人がいる。
いた。
本名パトリック・ラフカディオ・ハーン1850年ギリシャに生まれ、1890(明治23)年に日本へ。
14年間の日本での生活のうちに、怪談や日本観察記、日本文化に関する随筆や評論など記し、世界に紹介した。特に日本の民話や説話を集めて記したもの、例えば「耳なし法一」「雪おんな」「むじな」などは日本でも有名。
それらの作品と結びつかなくても、ぼんやりと「小泉八雲」という名前の響き、あるいは漢字の並びは知っているなーという人も多いかもしれない。


出雲・松江日帰りの旅

4月に松江の小泉八雲旧居と、隣り合う小泉八雲記念館を訪ねた。
…つって、ごめんなさい、一番の目的は出雲大社だったので、正直、松江は「ついでに」だった。

東京から夜行バスで出雲大社に行って、その日の夕方に飛行機で帰る、その間に。
「あ、小泉八雲の記念館があるじゃん。時間も余ってるし、ちょっと行ってみようかな」って、そのくらいのノリだったんですよね。
小泉八雲の代表作と呼ばれるものをちらっとだけ、読んだことがあったから。
小泉八雲の怪談(kwaidan)は、民俗学の色合いが濃いせいか、私は好きです。
なので、時間も余っているし、ついでに行ってみよう〜

ところが、旧居と記念館、どちらもとてもよかったのだ。

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旧居では極力、説明の類が省かれており、当時のままに残された美しい庭と建物で静かに過ごした。

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一方記念館は、豊富な資料と小泉八雲にまつわる品々、丁寧な説明書きにあふれ、小泉八雲の人生と作品と、そこに込められた思いなどをじっくりと知ることができる場所だった。

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撮影不可のため記念館内の写真はありません。
代わりに出雲そばをどうぞ。

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私あんまり知らなかったのだけど、ラフカディオ・ハーン小泉八雲という人は、ギリシャで生まれてすぐにアイルランドへ移住、その後フランス、アメリカ、西インド諸島、そして日本へと世界を巡ったことや、家族の事情、そして自身が子どもの頃に不慮の事故から左目を失明したこと、などから、異文化や異世界といった「異なるもの」への関心が育まれていったのだそうだ。

いったん松江のマンホールをどうぞ。

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1890(明治23)年、ハーンは横浜に到着。
翌年には松江で英語教師として過ごすうち、小泉セツと出会い
1896年2月に日本に帰化し、「小泉八雲」となった。
その年の9月に帝国大学の講師となるため上京。

上京、ということは、東京に来ていたんだな…

と、ここで、私は展示パネルに知った地名を見つけた。

「市谷富久町」?
「新宿区大久保」??
え、近所じゃん。
って、え、小泉八雲って新宿に住んでたの??


…よっしゃ、行ってみるか!
ということで、巡ります、新宿の小泉八雲を。



小泉八雲記念公園

松江が小泉八雲推しだからてっきり私、小泉八雲は松江の人だと思っていたのに
私の生活圏内にも縁があった人だとは。

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ということで地図をみながらてくてく。。

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JR新大久保駅界隈。タピオカ屋と、チーズハットクの進化系みたいなやつのお店の行列と混雑とで普通に歩くのさえも大変な道をなんとか通り抜け、

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角を曲がると、いままでの騒ぎが嘘みたいな静かな道へ。

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ホントにこんなところに公園があるのか…?と不安になった頃、
おや、奥になんだか白っぽい建物が見えてきた。

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小泉八雲記念公園に到着。

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思ってたより広い。
ずいぶん大きな家に住んでたんだなぁ、、それとも当時は、大きな家が普通だったのかな。

あれ、私が入ってきたのは裏側かな、こっちが正面っぽい。

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ふむ、やっぱりこっちが正面入り口という感じだ。

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こちらご本人。

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こちらイメージキャラクター。

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こちら…ちょっと異空間。

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これは…魚?
ほら、右上を向いた新巻鮭??

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と思ったけど、どうやら小泉八雲の出身地の地図を表したモザイクらしい。

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なるほどねー、こんなに近くに小泉八雲にまつわる地があったなんてね。

この公園は1993(平成5)年に開園。小泉八雲の胸像は故郷のギリシャ政府から贈られたものなのだそうだ。
公園はギリシャ風の柱、古代の集会場(アゴラ)を模した広場など、ギリシャの古代・中世・近代の歴史をイメージして建設されたということだ。

そっかそっかー、ここが、小泉八雲が東京で暮らしていた場所かー。
さ、帰ろっと。



見逃していた

家に帰ってネットで検索したら、今日行った公園のすぐ側に小泉八雲の碑なるものがあったようだ。
えっ、そっちも行っておくべきだったなぁ。
さらに、あの公園は住居跡ではないらしい。
えーっ、まじでー
言われてみれば、どこにも住居跡なんて書かれてなかったな…。
じゃあ、どこに住んでたんだよー!
そして、あの公園はなんなんだよー!


2日目の旅

結論から言うと、小泉八雲が住んでいたのは、訪れた公園のすぐそば。
この前最後に出た、石の柱の出口を、大通りの反対側に50メートル歩いたくらいの、本当にすぐそばに。

次の休みの日に再度、てくてく。

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学校の門のすぐ横に、

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ありました、

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小泉八雲舊居(きゅうきょ)跡の碑!亡くなるまで住んでいたそうだ。
公園じゃなくてこっちかー。(実際は、さらにもうちょっとずれた場所なんだそうだ。現在は一般の人が住んでいる建物がある)
ちなみにあの公園が出来る前はなんだったんだろうと40年分くらい地図でさかのぼってみたけれど、国のお役所の寮だった。
建物を壊したタイミングで、せっかく小泉八雲のゆかりの地のすぐそばなんだから記念公園にしよう!みたいな感じかしら。うん、そういうのありそうだ。

でもさらに、ここの前に住んでいた場所も新宿にあるのだそうで。

…行くしかないですよねぇ、もちろん。



3日目の旅

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また別の日に、てくてくてく。
東京メトロ丸ノ内線の四谷三丁目から10分ほど歩く。

現在は成女学園という学校の敷地内に碑が立っているらしいのだけど…
学校かぁ…わたし完全に部外者だしなぁ…怪しまれないかなぁ見せてもらえるかなぁ…と受付を覗き込んでいたらすぐに女性の事務員さんが出てきてくれて、丁寧に記念碑の場所を教えてくれた。
もう少し先に行ったところの、正門の、右手にあるのだそうだ。

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正門の…

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右…?
あっ、あの右端の茂みのとこに…

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あった!!
なんというか…
ひっそりと…
地味だな…。
うん、まあ学校の敷地内だから、仕方ないのだろうけれど。

ここには、小泉八雲が上京してすぐに住んでいたのだそうだ。(実際の場所には、今は体育館が建っている。さすがにそこまでは入れなかった)
ここで1896(明治29)年9月から過ごし、
1902(明治35)年3月に、さきほどの小泉八雲記念公園のそばに転居した。
そして1904年9月死去。

ということは…東京に8年、いたんだ。
あれ、あの記念館のあった松江に居たのは1890(明治23)年9月から1891(明治24)年10月だから、1年ちょっとか…

松江に居た期間よりも東京のほうが、長い!!
そうだったのかー、なんか意外だな…!
(ちなみに松江と東京の間には熊本、そして神戸に移住している)



ひとまず完結

ほかにももっと「ゆかりの地」はあるのだけれども
ひとまず、新宿の小泉八雲を巡る散歩は終了。
小泉八雲がこんなに近くに暮らしていたことを知って、なんだか不思議な気持ちだ。
だって、それまでは、小泉八雲という人は、松江という(私にとっては)観光地の人だったから。
こんなに近くに居たんだなぁ。
そして、新大久保という、いろいろな国の人たちが生活し観光に訪れる多様性に富んだ街の奥に、異文化を愛した小泉八雲を記念する公園があるというのも、なんだか趣深かった。

出雲・松江の旅は日帰りだったのに、今回新宿区内に残る小泉八雲が暮らした地を巡るのに3日間も費やしてしまった。
図らずも、こっちのほうが旅みたいだったな。



<参考資料>
小泉八雲記念館 公式サイト
・『小泉八雲集小泉八雲,新潮社,1975
・『東京10000歩ウォーキング No.11』籠谷典子/編著,明治書院,2013
・新宿区広報 平成5年4月15日発行 第1344号