偶然の出会いから
高層ビルの1階にある模型が好きだ。
こういうやつ。
何のためにあるのかは知らないけど、
木とか車とか、ちっちゃくてかわいいよねー
…ん?
この隅っこにあるのは…?
えっ…
ぎゃあああ
なにこれ!黒い!怖い!得体が知れない!!
あー怖かった
さっきのアレ、なんだったんだろう。。
ビルとの位置関係から考えると、新宿中央公園あたり…
この辺りに彫刻でもあるのかな…?
それらしいものは見当たらないけど。。
うっかり判明
それから約半月。
寝なくちゃいけないのに寝たくない夜ってありますよね、
そんな夜に「そういえばアレって」なんて、全然大したことないことを検索したりしますよね、明日を迎えたくないが為に。
で、見つけてしまったんですよ、あれの正体。おそらく正解のやつを。
せっかくだからじっくり調べて解き明かしたい!という願望もあったのに!
揺れ動く心。
見ちゃいけない、これ以上読んじゃいけない…!と思いながらも目をモニターから逸らすことができず、表示された写真とそのキャプション、人名など、いくつかのキーワードを拾い読みして慌てて画面を閉じた。
検索ワードは 新宿中央公園、彫刻。
拾い読みしたキーワードは、
太田道灌、
山吹。
現地調査
ということで、
ある晴れた秋の昼下がり。
改めて新宿中央公園にやってきた。
日差しはあるものの、秋の風は冷たい。
作業服姿の男の人たちが談笑しながら歩いている。
ワイシャツ姿の男性が、公園内の健康器具にぶら下がっている。
自転車に乗った女性とすれ違う。
それぞれが、残り少ない穏やかな秋を体内に取り込もうとしているように見えた。もちろん私もその一人で、ゆっくり歩いてみたりした。
そうしているうちに見えてきた、彫刻。
あれだ…
ネットでうっかり見つけちゃったやつだ!
そしてこちらが
あの、黒いやつ!!
向きを合わせると、こっちからかな。
…もうちょっとなんとかならなかったのか。
「久遠の像」
気を取り直して。
こちら、「久遠の像」。
場所は、ビルの模型上で置かれていたところとは全然違ったけど、まぁあれは「概念としての新宿中央公園」内、と示していたと解釈しようではないか。
「久遠の像
この像は 江戸城を築いた太田道灌が武蔵野の原で狩をした時の伝説の一情景であります
一九七八年四月」
1978年4月。私よりちょっと年上の彫刻。
40年も、この場所でこの子は膝をついて頭を下げて、なにをしているんだろう。
太田道灌のことと、個人的な思い出
そもそも太田道灌という人は、どれくらい有名なんだろう?
私は、もう正直に言うと、知ったのはここ最近5,6年のことだ。日本史の授業は真面目に聞いていなかったし、歴史にも興味はなかった。丸の内・有楽町付近で働くようになって、ご近所さんである江戸城を作った人として耳に入ってきた。
…と、書いていて思い出したぞ、その前に私、「ドーカン」て響きだけ知ってたな、高校時代には。
私、高校時代に好きな人が他校生だったんですけど、その相手の高校の地域で「ドーカンまつり」というのがあってだな、彼らの周りでは高校生は「ドーカンまつり」に誘ったり誘われたりで交際がスタートしたり云々、というのがあってだな…!
うわ、あの「ドーカン」はそういえば「オータドーカン」だったな…!
閑話休題。
そんなわけで、私基準で考えてはいけないのは重々承知だけれど、関東地方以外にお住まいの方にも通じるだろうか、太田道灌。
江戸城を作った人、ということでひとつ、よしなに。
(私以外の全員知ってる超有名人かもしれないけどね!壊滅的な歴史の知識でごめんね!)
山吹伝説
で、太田道灌の伝説の一情景、とのことだけれど。
ここで描かれているのは山吹伝説、と言って、太田道灌にまつわる伝説のうちでも特に有名なものなんだそうです。
むかしむかし、太田道灌が鷹狩りをしていたら雨が降ってきた。で、近くの小屋で雨具(蓑)を借りようとしたら、若い女の子が何も言わずに、山吹の枝を差し出した。
太田道灌は「花が欲しいんじゃないのに…」と帰ってしまったが、実はこれは古い和歌を引用した「蓑はありません」の意味だった。そのことを後から知った太田道灌は、これを機に和歌も熱心に学ぶようになった。
という感じ。わかりやすさ優先で訳してみたのでご容赦くださいませね。
あ、古典の授業は好きだったからなんとなくわかるぞ。
ええと、元々、「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という和歌があって、それをこの女の子は引用して、「山吹」→「実のひとつもなくて残念です」→「蓑ひとつない」→「蓑は無いです」、と暗に伝えたわけね。当時は教養のある人なら当然知っている和歌を引用する・っていう文化というか、教養を基にした遊びというか、そういうのがあったそうな。古典の授業好きだったわりにはこんな説明でごめんなさいね。
なるほど、じゃあこれは山吹なのね。
(載っている本物の枯葉は山吹ではないです。)
そういえば、彫刻の周りにも山吹が植えられてた。
(それにしても、どうして私の記事は桜といい山吹といい、季節はずれなんでしょうね…)
さらに調べてみたら、なんとこの女の子の名前まで判明した。
紅皿ちゃんという。
もちろん、これは伝説である。
太田道灌が雨に降られて山吹を差し出された、というエピソード自体が伝説なんだから、相手の女の子の名前が判明するなんてありえないよね?!とおっしゃる方もいるであろう。だが、ちょっとだけロマンというか、物語として楽しんでいただければと思う。
現地調査再び
先ほどの「久遠の像」があったのは、東京都新宿区。
その新宿区の隣の豊島区にある、大聖院というお寺に伝わる古文書「大聖院文書」の中に「紅皿縁起」というのがあるそうだ。
ということで大聖院に来た。
ここに至るまでの階段には「山吹坂」という名前がついていた。
本堂に手を合わせてから、ええと…
駐車場の中とのこと。
おじゃましまーす…
あった。紅皿の墓。
手を合わせる。
石に彫られた文字を読み取れないけど、現代のお墓みたいに「●●家之墓」なんて当然、書かれているわけではなく。上でも書いたように「伝説」なので、これが本当に紅皿のお墓なのかはわからないけど、なんとなく、「お線香くらい用意してくればよかったな」と思った。偶然見かけた高層ビルの模型の片隅で偶然見かけた黒くて怖いフィギュアが、ここにくるまでに私の中でちょっとだけ、実像を結んでいたから。
説明板には、道灌は後に紅皿を城に招いて歌の友としたこと、そして道灌の死後には紅皿は尼になったと書かれている。もちろんそういう伝説、ということ。
境内をこげ茶の猫がゆっくりと歩いていたけど、あえて写真は撮らなかった。「え、撮らないの?」という顔でこっちを見ていたけど、撮らないよーだ。猫好きぐっと我慢して次の目的の場所へと向かう。
歩きます
歩いて40分弱のところに「山吹の里の碑」というのがあるという。てくてく行くことにした。
途中、宗教の垣根を越えたお寺を通り過ぎる。
目的地に向かいながら、余談をいくつか。
まず、この「山吹伝説」は古典落語「道灌」にも登場する。私はその道に暗ぇから知らなかったけど、ホントにこの「山吹伝説」というのは有名なんですね(太田道灌自体をろくに知らなかった私が言うのもへんですが)。
また、新宿中央公園の彫刻では若い女の子が伝説の登場人物となっているけれど、文献によっては「老女が唄をうたった」というバージョンもあるらしい。ふむ、彫刻にするなら「そっと山吹を差し出している」ほうが作りやすそうね。
それからこの「紅皿」という名前。紅皿ってなんだか色っぽい名前だけど、伝説上の名前としては「紅皿(べにざら)」と「欠皿(かけざら)」という異母姉妹として登場することがあるそうで。この場合、美しいほうと醜いほう、かわいがられるほうと虐げられるほうになるのだけど、物語によってどちらが「紅皿」でどちらが「欠皿」かは異なるみたい。それにしてもネーミングのセンスがすごい。欠皿って…!
到着
そんなこんなで到着。
都電荒川線「面影橋」駅のすぐそば。
ええと、面影橋のたもと近く…
あれか。
予想外のビジュアルで登場。
なんだかすごい場所に取り残されているな…。
ここにも説明板。さっき大聖院にあったものは新宿区教育委員会だったけど、これは豊島区教育委員会。
道灌の山吹伝説の舞台として伝えられているのはこの周辺らしいですよ、と示しつつ、他の候補地についても触れている。触れつつも、やっぱりたぶんこのあたりじゃない?とにおわせている感じもある。あと、このもう少し先には山吹の里公園というのもあるので、豊島区はずいぶん山吹の里アピールをしている。
でも結局、どこが本物なのかなんて、きっといつまでも決着はつかないんだろうな。
もしNHKの大河ドラマで太田道灌が主人公となる日が来たら、もっと増えるかもしれない。
しかしこの伝説の少女・紅皿ちゃんは、太田道灌に和歌を示しただけでなく、私にも知識を与えてくれたわけだな。出会いはちょっと怖いくらいだったのにね。
ところでそもそもの発端となったこちらですが、
肝心の道灌不在ですがいいんでしょうか。どこ行った道灌。
<参考資料> (尚、参考資料のリンクをクリックしても宮西野には一切ちゃりんちゃりんしませんのでご安心ください)
『道灌紀行―江戸城を築いた太田道灌』尾崎孝,PHPパブリッシング,2009
『日本の武将26 太田道灌』勝守すみ、人物往来社,1966
『歴史研究』第304号 「太田道灌と山吹の里」小森隆吉
『東京都の不思議事典 下巻』樋口州男他編,新人物往来社、1997
『神話伝説辞典』東京堂出版,朝倉治彦他編,1975
【2019年8月、引越しとともに追記】2018年11月、自由ポータルに掲載していただきました