Twitterから離れて2か月経った
旧なんて付けなくてもTwitterはTwitterで通じるだろう。
iPhoneに公式アプリを入れて使っていた。
鳥のアイコンが変わるのが嫌でしつこくアップデートを拒んでいたのだが、ある日強制的に使えなくなってしまった。
その頃にはもう、まったく興味ない人のツイートや、目にするだけでもしんどくなるようなツイートが勝手に侵入してくることが、広告の増加なんかよりも圧倒的に嫌で、嫌で、それに加えて漏れ聞こえてくるイーロンマスクという人の考え方へのささやかな抵抗として、ああそろそろTwitter辞め時かな、なんて思ってはいた。
なので、きっぱりやめた。
とはならないのが私の可愛いところである。
きっぱりなんてやめられるわけないだろう。
フォローは20数名、フォロワーは10数名。リアルの知り合いは一人もいない。
この程度の私でも、日常の酸いも甘いもすべてTwitterと共有し、10年以上過ごしてきているのだ。
でも、とにかくその頃には、私の愛したTwitterとは様相が大きく変わってしまっていた。
そこで、私はiPhoneからの利用を諦め、PCからのみアクセスするという距離の取り方を試してみることにした。
そして2か月が経過した感想が、この記事です。
困ったこと
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速報性のある話題が検索できない
➡私は野球ファンなのですが、突然のトレードとか戦力外とか、その前兆とかの情報が他のメディアでうまく探せなくて歯がゆかった。公式発表が出たら各サイトで読めるんだけど、それを待つ間の心もとなさ。
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話題への正しい反応がわからない
➡某著名人の離婚の話があったけど、それを知った私の感想と、世間?の感想との答え合わせができなくてちょっと不安だった。が、これはよく考えれば答え合わせなんて全然必要なく、正しい反応なんてものはなく、それぞれが勝手に感想を抱いていればいい話だったので結果どうでもよかった。この「不安」と「答え合わせ」が、そもそものSNSの動力なんだろうな。
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猫ちゃんが見れなくて寂しい
➡猫ちゃんが好きである。が、身近に猫ちゃんがいない。ツイッターで猫ちゃん姉妹をフォローしていたことを思い出し、あの子たち元気かな…と思いにふけったりする。(時々PCで見に行く)
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推したちのツイートが見れない
➡戦力外とかトレードとかドラフトとかについて、推しの野球選手たちがリアルタイムでどう感じているのか知る機会がツイッター以外にほとんどなかった。有名選手だとそのツイートがネットニュースに転載されたりはするけど、そうじゃないんだよ。最推しはインスタやってないし。
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推しの動向がわからない
➡二軍の球場で入待ち出待ち写真をアップしてくれている方々がいてそのおかげで最推しの生存確認できてたんだけどそれが出来なくなったのが一番つらい(早口)
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推しの可愛さの瞬間を共有できない
➡ファンフェス中継を見ながら推しの可愛さにひとりで悶絶していたが本当は全世界と全同担とハッシュタグつけて共有したかった。プロ野球選手が本気でパワプロやってる姿ってなんなの好き(早口)
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ラジオスターの動向がわからない
➡私の人生の半分以上を寄り添ってくれているラジオスターのツイートが見れないので、急な番組出演情報を取りこぼす。でも毎週のラジオは聴いているからいっか。
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ふと思った些細なことをツイートできない
➡…いま例えとしてここに書くことが何も思い出せないくらい、「〇〇のときに××と思ったことをツイートしよう」が、いかに些細でどうでもいいことなのかを実感するな…。「あ、私いまこう思ったな。このことをツイートしておこう」が、実施できなくなったということ。
最初のうちは「ああ、この気持ちのやり場はどこへ…」と途方に暮れたが、そもそもツイッターに投稿する程度のつぶやきなんて本来は自分の中にとどめておくようなもんだしな、それを全世界で一斉に表に出し始めたから面倒なこと増えたんじゃね?と思うなどしながら数日過ごしていたら「あ、私いまこう思ったな。このことをツイートしておこう」と思う回数そのものが減った。
だいだい、私が「何かについてこう思った」ことを、知人友人ならともかくとして、知りたいと思う人なんていないだろう。しかし同時に、「そうはわかっているけれど見知らぬ誰かに向かって吐露したい気持ち」があることも、わかっている。でもそこまでの気持ちならPCを開いてわざわざツイートすればよい。 -
活動報告ができない
➡はてなブログのトップとか、デイリーポータルZとかに掲載してもらえたときの「載ったよ!」報告をするのにPCから入らなくちゃいけなくてひと手間増えた。それほど頻繁じゃないから大した負担じゃないけど、それよりもフォロワーさんに「こいつ宣伝ツイートしかしなくなったな」と思われるかもしれないことがちょっとだけ恥ずかしい、が、実際そうなので否定できない。
↓これとかね!
良かったこと
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心の平穏が保たれている
➡以前に比べてたぶん、という程度だけど。そもそも昔はツイッターなんてなかったんだぜ?それが今は、知らん人の知らんお気持ちを強制的に見せられて、それに心を乱されて。そりゃ分断も深まるよ。人間同士には適度な距離が必要。
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白黒つけなくてもいいんだな
➡ツイッターでの議論を目にすると「私はどう思うか」の立場を表明しなきゃいけないような気がしていたけど、全然そんなことしなくていいんだな、と思えるようになった。ツイッターのみなさんは白黒はっきりつけるまで殴り合うけど、でも世の中とか人生って、そう簡単に白黒はっきりしないことの連続じゃん。なにかひとつの出来事があって、それに対して自分がどう思うかは、はっきり表明したい人や、しなきゃいけない人はそうすればいいけれど、少なくとも私はそんな立場ではないから、なにごとか思って、それが白黒はっきりしなくても、「まあいっか」と思うようになった。いいんだよ、私は私にできる範囲で、私が大事な相手に対して誠実であれば。
不思議なこと
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ツイッターの仕様に興味がなくなった
➡当然といえば当然なのか?有料化だとかなんだとか、別にどうでもよくなった。有料の価格?広告の有無?知らん勝手にしろ。課金制にするなら思い切ってしてくれ、いっそすっきりやめられる。
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写真を撮ることが減った
➡お出かけしたり、美味しいごはんを食べたりしたけど、写真を撮るのが減った。おいしいごはんは記録に撮りはしたけど、事実確認みたいな感じでパッと1枚とって終わり。つまり私は、構図やら明るさやらあんまり気にしてなかったけど、結局ツイッターにアップすることを念頭に写真を撮っていたということなのか。意外~。実際、「ツイッターにアップしないから写真撮らなくていっか」と冷静に思うこともあったな。意外~。
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なきゃないで平気
➡ツイッター開かない日々なんて考えられない!と思っていたけど意外と平気。アカウントは消さず、PCからという手段を残してあるからかもしれないけど。
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でもスクリーンタイムは減らない
➡ツイッターの時間が減っても全体的なスクリーンタイムは減らない。何故。
結論
- ツイッターから離れても今のところ生きてる
- 推しの動向確認にはツイッターが大事
- 時々PCから開くと余計なツイートに閉口する。「おすすめ」、まじでお前はなんなんだ。
- でもスクリーンタイムは減らない。何故。