小田急線まちがえき―厚木駅から本厚木駅へ―
このエントリはデイリーポータルZの過去記事カバーです。カバー元は大山顕さんの「まちがえき」シリーズです。
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ぶらりまちがえきの旅
新宿と小田原・箱根湯本をつなぐ小田急線。路線図でみると左から三分の一あたりのところに、良く似た駅名がふたつ並んでいる。
「厚木(あつぎ)」と「本厚木(ほんあつぎ)」だ。
見て、この完璧な小田急線路線図!!これさえ覚えておけばきみも小田急線マスターだ!!!
ここは本厚木かな…?
と、二分の一の確率に賭けて各駅停車を降りてみたけれど……
厚木だった…!!
ま、まちがえき~~~!!!!
OH…No…
(ではなく、このOHはOdakyuHonsen(小田急本線)のことだと思われます)
(相模大野ではありません、小田急線ギャグ!!!)
まちがえきしたかったんです
はい…。
「本厚木駅」は私の出身地、「厚木駅」は高校最寄り駅だったため、間違えるわけがないんです、すいません。
でも、知っているからこそ間違えるわけがない駅、を、あえてまちがえきしたかったんです。
なので、特に実家に帰るわけでもなく、ただ間違えるためだけに、新宿から約1時間掛けて「厚木駅」へ降り立ちました。
慎ましい佇まい。そう、ここが厚木駅。
「ここは本厚木じゃないよ!」の貼り紙。これが貼られている時点で立派な「まちがえきィー」。エンプロイーとかフォロイーの感じで読んでください。雇われる人、フォローされる人、まちがえられる駅。
そうそう、パスポートセンターのひとつが本厚木にあることは厚木市民の誇りのひとつでもあった。というか、そのくらいしか誇れるものがなかった。
一気に地名度が上がった地元
私は高校時代、「厚木駅」で電車を降りて高校に通っていた。田んぼに囲まれた高校に、稲穂色のネクタイを締めて。
「本厚木駅」から各駅停車でたったひと駅の通学だったけれど、電車に乗って高校に通うというのは、入学当初の私にはとても大人びた行為に思えた。
通っていた高校の後輩に「いきものがかり」のボーカル吉岡さんが現れたことから、おかげさまで厚木/本厚木の知名度は全国レベルに引き上げられたことと思う。そうだよな!日本のみなさん。それまでは小泉キョンキョンの出身地だよーとか、TUBEの前田さんも厚木の人だよーとか、厚木基地は厚木にはないんだよーとか、どうにもパンチ力が弱いプロフィールしかなかったのだけれど、今では十中八九、厚木の人間は出身地を説明するのに「いきものがかりの出身地だよ」と言っているはずだ。
質素な自動改札。数も迫力も新宿駅の80分の1くらいじゃない?(推測。憶測。)この控えめな感じがちょうど良かったのよ。
海老名市の厚木駅から厚木市の本厚木駅へ
まぁそんなわが地元、厚木/本厚木なのですが、
鉄道ファンの皆様にはおそらく有名なことなのだろうけれど、「厚木」駅は海老名市にあり、「本厚木」駅は厚木市にある。
厚木市の人間は、本厚木駅と厚木駅を間違えられると「あんな地味なシンプルな駅と一緒にするなよなー!」と、ちょっとムッとする。でも、「いきものがかり」について語るとき、厚木市と海老名市の心はひとつになる。厚木駅と本厚木駅のことも、ぼんやりと遠目で見れば一緒かな?ご近所だしまぁ仲良くやろうぜ、くらいの気分になる。
で、「いきものがかり」のメンバーは、厚木市にある厚木高校の出身と、海老名市にある海老名高校出身で、ご実家の住所までは知らないけれど、なんというか「厚木・海老名エリアに錦を飾った」という感じだ。70を過ぎた実家の母も(知り合いでもないのに)嬉しそうに話すくらいだから、郷土の誇りには違いないのだと思う。
なにはともあれ、私が降りたのは、海老名市にある厚木駅。
ここから厚木市にある、おとなりの本厚木駅まで歩きます。
思い出…ではない道をゆく
高校に通っていたのはもう20年以上前のことだ。卒業以来、降りる機会がなかった。
駅前。正直、それほどにぎわっている通りではない。
高校へ向かうには左なのだけど、今日は本厚木駅へと向かうので右だ。
あのお店無くなったんだ…とか言えたらよかったのだけど、いかんせんこちらの方向にはほとんど来たことがないので当時との比較ができない。無心で本厚木駅に向かって歩く。
相模大橋東という名前の交差点を左(西のほう)に曲がる。
相模大橋は、厚木市と海老名市の間を流れる相模川(さがみがわ)に架かる橋。
世界四大文明はすべて川沿いに生まれましたよね、ナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河。
そして相模川。我らが厚木は相模川によって生まれたといっても過言ではない。
相模川is母なる川。
先日の台風19号の襲来では、相模川が溢れるのではないかと騒ぎになっていた。
私は厚木を離れて10年近く経つ。実家も相模川からは遠いし知り合いも川沿いには暮らしていないけれど、それでもやはり「あの相模川が溢れてしまったら厚木は終わりだ」という危機感、というか恐怖感を抱きながらニュースを見ていた。
車どおりの多い道の、細い歩道。甘いお酒を頼んだときについてくる赤いストローくらい細い。あれ使って飲んでいいのか毎回悩む。タピオカ用ストローと同じストロー界に置いていいのかも悩む。ゴールデンレトリバーとチワワみたいな縮尺の差よ。。
なんの話でしたっけ、そうそう、相模川。
陰キャにだって思い出はある
「スクールカースト」とか「陽キャ・陰キャ」とかいう言葉は20年前はもちろんまだなかったけれど、私はまちがいなくスクールカースト下位の、陰キャだった。
そんな私にも、相模川の青春の思い出があるくらい、相模川は私たちにとって大事な象徴的な場所だった。
高校の文化祭の打ち上げで、クラスで河川敷でバーベキューをした。スクールカースト上位の男女が仕切って、私は懐中電灯を持参したという部分だけ重宝がられた。
みんなはビールを飲んで楽しそうにしていたけれど(未成年の飲酒ダメ、ゼッタイ!!)、私はハメをはずすことができない高校生だったので、怖くて飲めなかった。お酒のせいで豹変していくクラスメイトを遠くから見ていただけだった。これはなにも私が法を遵守したことを自慢しているのではなく、その逆だ。同じクラスの仲間と同じように楽しむことができなかった当時の私を、今の私が憐れんでいるのだ(でも未成年の飲酒ダメ、ゼッタイ!!)。
橋の真ん中あたりで厚木市に入る。ここまでは海老名市だった。
それから、好きだった男の子と土手のブロックに座ってずっと話をしたのも相模川だった。
当時の私は塾で一緒だった他校生に恋をしていた。スクールカースト下位の私でも、他校生は好きになれた。あれも文化祭の時期だっただろうか、暑くも寒くもない夜で、いくらでも話し続けることができた。
相模大橋の隣にかかるのは、つばさ橋。
つばさ橋が出来る前には、コンクリート製で手すりのない、車1台分の幅しかない古い橋が架かっていて、私たちは「もぐり橋」と呼んでいた。相模川の水量が増えると文字通り水面に潜ってしまうのだ。事故も多かったと聞く。それで、つばさ橋に架け替えられた。
その「もぐり橋」を、その好きだった人と一緒に渡った記憶がある。相模大橋を行きかう車の明かりが水面にチラチラ映り、時々小田急線の音が近づき、遠ざかった夜。
夏に鮎祭りという大きな花火大会が開かれるのもこのあたりだ。毎年のように遊びに行った。子どもの頃は家族と、成長してからは友達と。前日から土手にレジャーシートを敷いて場所取りをして、当日は厚木市民以上の人数が花火を見に集まり、それはそれは大変な騒ぎだった。盆と正月とクリスマスと鮎祭りが一緒に来たような騒ぎだった。
台風から4日。草はなぎ倒され、流れはまだ濁っていたけれど、水量は落ちつきを取り戻しているようだった。
ゴミ拾いのグループかな?と思ったらお年寄りがパターゴルフをやっていた。たくましい。たくましさに見とれて写真を撮り忘れてしまった。
結果、あの台風では相模川が溢れることはなかった(すくなくともニュースで事前に騒がれていた、厚木市流域での堤防決壊は無かったはずだ)。
橋の向こう側
橋は5分ほどで渡りきってしまう。
温泉と花火と大道芸のまち、とのこと。
その先はシャッター商店街が続く。数軒、営業しているお店はあるのだけれど、ほぼこんな感じだ。これは10年前からあまり変わっていない。
ところどころにある彫刻を横目に、まっすぐ歩いて、交差点を左に。
駅に続く大通り。
ここには以前、学ランの裏に刺繍をしてくれるお店があったはず…。中学のやんちゃな同級生たちが、ここににぎやかな裏ボタン(裏ボタン!)やらを買いにきていた。
ここにはPARCOがありました。ええ、あのPARCOです。
中央図書館。ここの地下には郷土資料室があって、浸水していたら大変な損失になっていたと思う。ちなみに昔々、地下はパチンコ屋でした。パチンコ屋と図書館が同じ建物に入っていたなんて、ずいぶん珍しいですよね(もちろん音は響いてこなかったけれど)。
また交差点を渡ってまっすぐいくと
大きなとおりに出て、
はい、本厚木駅に到着です。
こうしてみると、厚木駅とは全然規模が違います。どうか皆様におかれましては「厚木」にお越しの際は、まちがえきに十分ご注意くださいませね。
おかゆやさんで少し遅めのランチをいただいて、まちがえき終了~
【2020年5月追記】2019年11月、自由ポータルに掲載していただきました