(新しい)置き場

ごそごそしています

世界一の大きさの打ち揚げ花火を見上げた夜

四尺玉の花火、というのをご存知だろうか。

打ち揚げ花火について、「○号玉」とか「○尺玉」という大きさを表す単位は聞いたことはあるだろう。
打ち揚げることが可能な最大の大きさは地域によって異なるが、普通の花火大会では5号玉くらいまでが主に使われているそうだ。
5号玉は、玉の直径は約14.1センチ。手元にあった私のスマホがちょうどそのくらいだった(測った)。

さて、四尺玉である。号でいうと40号、玉の直径は約114センチ。
簡単に言うと、現在、日本で一番どころか世界で一番大きいサイズの打ち揚げ花火だ。

これを見られるのは、毎年9月。新潟県小千谷(おぢや)市、片貝(かたかい)町という場所である。
私が最初に見たのはもう10年ほど前。その次の年にも連続で見に行っている。
そのときのものすごさは忘れられない。四尺玉花火そのものも、お祭りの雰囲気も。

今年、久しぶりに行くことにした。




さっそくご覧ください

2018年9月9日、22時。
片貝の空に開いた四尺玉がこちらである。

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写真ではいまいち大きさが伝わらないと思うが、
重さ420キロの、直径約120センチの玉が高度800メートルまで打ち揚げられ、開いた直径750メートルになっているのがこの写真。

10キロの米袋が42個。普段2キロのお米を買っているという人なら210個。
6、7歳の子どもの身長が120センチくらい、
スカイツリーの高さが634メートル、というあたりからイメージしてください。
(というか、米袋210個なんて逆に想像できないですよね。そんなときは「とにかく重く、大きいものが、ものすごく高くに揚がっている」というのでオーケーです。)

また、これはこのお祭りで最大の大きさの花火だけれど、他のも大きいものばかり。
7、8割を占めるのが「尺玉」。号でいうと10号、東京ではまず見られない大きさである。
そして二尺玉(20号)、三尺玉(30号)があり、四尺玉(40号!)とあって。
見ていると、次々打ち揚げられる尺玉が「普通」に感じられるようになってしまい、大きさの基準が崩壊する。
いやいや、これ、全然「普通」じゃないから!!めちゃくちゃ大きいから!

日本一どころではなく、世界一の大きさのこの四尺玉花火。
どうしてこの、新潟県小千谷市片貝町、という場所で打ち揚げられているのか。
いったい、尺玉がばんばん打ち揚げられるこのお祭りは何なのか。

当日の写真と後日調査とをあわせてお伝えします。




片貝の花火の歴史

片貝の花火の歴史は古い。
しかし、片貝に花火の技術を誰がいつ伝えたのか、というのは残念ながらはっきりはしないそうだ。
ただ、宝暦9(1759)年頃には、すでに片貝の花火技術はかなり進んでいたという記述が残っているそうなので、起源はもっとさかのぼれるのだろう。
享和2(1802)年には(浅原神社ではなく)楯観音の新築御堂完成の際に夜、若者たちが花火を揚げた、しかも見物人も遠くから来ていたと残されているそうなので、この時点でかなり有名だったと推測される。なお、これが片貝の花火についての一番最初の記述だそうだ。200年以上前から、片貝の人々は花火に夢中だったんですね。

それから現在の浅原神社に花火の舞台が移るのだが、それについては後ほど。(解決はしません)


奉納煙火

世の中にはたくさんの花火があって、それはお祭りの一部だったり、テーマパークやコンサートの演出だったり、花火師さんの競技会であったりするけれど、ここ片貝の花火は地元の「浅原神社」への奉納煙火である。
煙火とは、花火のことね。
誰がどんな花火を(この時は楯観音へ)奉納したかが書かれてる番付表は、慶応3(1867)年のものが残っている。

今でもこの番付表は発行されていて、それには誰が・どんな花火を・どんな願いをこめて奉納するかが書かれている。
例を挙げると
家内安全/健康祈願/祝結婚/祝誕生/厄年満願/追善供養
などなど。
この町の人たちは、人生の節目に、それを記念した花火を浅原神社に奉納するのだ。

私はこんな花火を見たことがなかった。
神奈川の真ん中あたりで育った私が知っている打ち上げ花火は、「○○株式会社提供のスターマインです!」とか、だいたい会社名がくっついていた。
だから、個人で花火を揚げることがあるなんて、この片貝の花火を見る10年前までは知らなかった。




さて、時は満ちた。花火当日である。

錦鯉が迎える

新宿からバスで小千谷に到着。雨は止んだかな。

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看板の上に顔を出しているのは錦鯉。

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看板裏側。「世界一四尺玉」の誇らしげな文字。錦鯉は手を振っているようにみえてかわいい。

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花火打ち揚げの筒のモニュメント。四尺玉の筒は高さ5メートル…!
尚、花火の大きさを表す○号、○尺というのは玉の大きさではなく、それを打ち揚げる筒の内径なんだそうな。

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近くの建物の壁も花火柄。

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マンホールも花火柄。

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浅原神社に到着。参拝の列に並ぶ。

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浅原神社の歴史

浅原神社は宝暦年間(1760)頃、片貝村の総鎮守として創立。この頃はまだ「一王子権現」と呼ばれていたが、
天保10(1839)年の祭礼ではすでに花火が揚げられていたようだ。
安政5(1858)年10月7日夜、浅原神社の社殿改築の際に夜に大花火奉献興行があったという記述が残っていて、
それ以降しばらく史料的には空白の期間がある。
花火関連で次に文献に現れるのは、明治10(1877)年9月8日の新潟新聞。浅原神社の祭礼について「この祭礼は盛大なる花火によって有名である」と書かれているそうだ。

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…なんか年号が多くて難しくなっちゃいましたね。書いている私自身もよくわからなくなってきました。
今まで出てきたものをざっとまとめてみます。

宝暦9(1759) 片貝の花火の技術、かなり進んでいたっぽい
享和2(1802) 新築御堂完成で打ち揚げ@楯観音
天保10(1839) 祭礼にて@一王子権現
安政5(1858) 社殿改築で打ち揚げ@浅原神社
慶応3(1867) 最古の番付表あり@楯観音
明治10(1877) 有名@浅原神社

こうして見ると、楯観音と浅原神社の両方で打ち揚げられていた時期があるみたいですね。
江戸時代には楯観音の縁日が花火の舞台だったけれど、その後、浅原神社での開催に移っている。なぜなのかは不明だが、明治維新後の廃仏毀釈の世相などが影響を与えたのではないか、と、手元の資料『花火に熱狂する片貝』の著者は書いている。




本殿の横の資料展。

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花火の模型。

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ちょっとモンスターっぽい。

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なぜ四尺にまでなったのか

四尺玉打ち揚げ成功は昭和60(1985)年。
なぜ四尺などという途方もない大きさにまで到達したのか。

どうも、ご近所である長岡の花火との競争心によるところが大きかったようだ。長岡の花火、有名ですよね。
そして長岡のみならず、国内の他のところとも大きさを競い合っているうちにとうとう片貝は四尺玉にまでいきついた、という感じらしい。
もちろんここに至るまでに失敗や事故もあり、犠牲者も出たのは言うまでもない。
今でも、常に危険と隣り合わせの打ち揚げだという。

なぜ、そこまでして揚げるのか。

小千谷市生まれの『花火に熱狂する片貝』の著者は、
強い団結、郷土愛。活気。積極性。負けず嫌い。花火への情熱。美意識。これらが片貝の花火を支え続けてきたのだと書いている。




さて、打ち揚げは19時半から。まだまだ時間がある。
お祭りの楽しみといえば夜店!

初めてのものいろいろ

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これ、なんだかわかりますか?
私は初めてです。

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型ぬき!
3枚200円。
ラムネのようなものでできているうすーい型。彫られている溝をカリカリして、図形のとおりに切り取る遊び。
型ぬき経験者である同行者はこの型を見た途端「あーそれ無理なやつだよ!」と笑いました。
無理だと言われると燃える!成功させてやるぜ!

と挑んだのですが

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バキバキになりました。イチゴ?のヘタの部分が細すぎる!
そして3枚買ったうちの2枚がこの柄。はぁ〜

同行者は蛇口のかたちに挑戦していたけれど失敗。
めでたく3枚全て失敗に終わったのだけど、私はげらげら笑ってしまった。なんだこの怪しげな遊び!楽しい!


これも初めてのもの。

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チーズコメハットグ。
長蛇の列。50分近く並んで購入。

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韓国のホットドッグだとか。中のチーズがにょ〜っと伸びて伸びて、全然切れない。これにもげらげら笑ってしまった。

夜店と夜店の隙間に、地元のお店を発見。

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看板に出ていた「お赤飯」が気になる、と同行者。
北海道出身の彼にとってのお赤飯は、甘納豆を使ったものだそうだ。このあたりのお赤飯ってどんなだろう?とお店に入る。

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明らかに、あずきではない。かといって、甘納豆でもない…!

お店の人に尋ねると、えんどう豆だという。ほんのり茶色いのは、お醤油。
ひとつ購入してお店を出ようとすると、お店の人が「あっ、新米使ってますから!!」とわざわざ呼びかけてくれた。
「楽しみです!いただきます〜!」とお店を出る私たち。お赤飯はほかほかだ。冷める前に食べよう。

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四尺玉煎餅も買えばよかったな…


誇らしげな番付表

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誰がどの花火を奉納するのかが示された、番付表。
東京のほうのお祭りでも、協賛者表?というのか、おいくら万円寄付?奉納?したのかわかる表が貼りだされているのは見たことがある。
けど、ここの大きさ、存在感。壁である。

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祝成人、と書かれている前で写真を撮っている若い子たち。
「すごいねーこれ!」「えーそう?生まれた時からこうだからわかんないや」という会話も聞こえてきた。
よくわかんないや、と言っていた女の子も含め、みんな嬉しそうだ。
このぶんの花火が揚がる。


屋台

夜店をひやかしながら歩いていると、歌声とお囃子とともにやってくるのが

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屋台。
最初、山車と呼んでいたのだが、先導する人が「屋台通ります!道をあけてください!!」叫んでいたので、なるほど屋台と言うのだな、と知った。

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屋台には○組若、とか、小若、とか描いてある。そして自分たちがどんな花火を神社に奉納するのかも。
屋台を引くのも、屋台に乗って盛り上げるのも、後ろについて太鼓を叩くのも、笛を吹くのも、二十歳くらいかそれよりもっと若い人たちだ。
どの屋台も同じうたを唄いながら神社に向かっている。なんて唄っているのかは判別できないのだけどそうそう、この唄。10年前も同じだった。

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屋台ごとにおそろいの半纏を身に着けている。

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半纏の下は学校の制服?おそろいのユニフォーム?スーツにネクタイを締めている子もいる。
とにかく若い子たちばかり。この町、若者多くない?

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この屋台たちが、5分か10分おきに次々とやってきて、浅原神社に向かう。ひとつの屋台に2,30人くらいの半纏姿の若者たちがついている。道が人々で混みあっているのでなかなか前に進めない。それでもお囃子の演奏と唄を止めない。ずっと、ずーっと唄っている。遠くからは次の屋台の音が聞こえてくるので、それはそれは賑やかだ。正直、うるさいくらい。

今日の姿をみて、あいつかっこいいな、とか、かわいいな、とかで、恋が始まったりするのかしら。するんだろうな。いや、今日どころかもう準備の段階からそういうのが芽生えてるよなきっと。そりゃあね。

後から調べたところによると、
「い組」は「一の町」、「三組」は「三の町」というように町内が分けられていて、それを表しているらしい。
で、さらにこれとは別に、学校卒業年次ごとにグループが作られて、そのグループで「祝成人」とか「祝還暦」とかの花火を奉納するのだそうだ。

あと、これも驚いたのだけど、昔は各個人の家庭で花火を作って奉納していたんだって。
その頃は、若連中が家々を廻って花火を回収し、打ち上げ場所へと運んだ。「玉送り」という。
もちろん現在ではそんなことは無いのだけど、その形式だけが残ったのが、もしかしてこの屋台だったのかな??
…と思ったのだけど、お祭りの日の昼間に、成人を迎えた人や厄年の人が参加して町内を練り歩く「玉送り」がある、とパンフレットに書いてあったから、別モノなのかな。うーん。
いろいろ調べたのだけど、これには答えがみつからなかった。
勝手に、祭礼の儀式としては昼間の「玉送り」が「玉送り」だけど、元々の「玉送り」が形を変えて現在に残っているのが「若連中の屋台」と思ってもよろしいでしょうか(と、私がここに書いたことによって後世に間違った見解が伝わらないといいのだけど)。


ふと向かい側の家を見ると、2階の窓では1歳にもならないくらいの赤ちゃんが、おばあちゃんほどの年齢の女性に抱かれていた。いっちょまえに、半纏を羽織っている。
いつかあの子も、この屋台のお囃子に混ざるんだろうな。
あのおばあちゃんも、昔はこの屋台のお囃子に居たのかもしれない。




揚がる花火

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そうこうしているうちに19時半を過ぎ、花火はもう始まっている。
近くのスピーカーからは、名物とも言われる司会の声が響いている。
「○番、片貝町○○様奉納、尺玉でございます!」
どこの誰がどんな花火を奉納するのかを、その花火の打ち揚げの前にひとつひとつ紹介するのだ。
結婚祝いだったり、還暦のお祝いだったり、追善供養だったり、なんの記念で花火を揚げるのか。誰の為の花火なのかがわかる、このお祭りを彩る大事なアナウンス。
これを聞いて、それに続く花火を見ると、赤の他人であるはずの奉納主のことを近しく感じてしまう。結婚おめでとうございます!とか、誕生おめでとうございます!とか、けっこう本気で思う。見ず知らずの誰かの人生に立ち会う。




あやこさんが花火を作る

ところでここに、絵本がある。

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『はなび』秋山とも子/作

はなび、というタイトルであるが片貝町の花火についての絵本である。
おはなしは、花火工場ではたらく「あやこさん」(名前に親近感)が、自身の孫のために花火を揚げる、というものである。

この中には、こんな文章がある。

『あやこさんは、けいちゃんと せいちゃんの はなびを しゃくだま 3だんで あげることにしました』

けいちゃんとせいちゃん、は、主人公であるあやこさんの孫の名前なのだが、
「しゃくだま 3だんで あげることにしました」
この文章は絵本を読んでいると、いきなり入ってくる。ここまでに「しゃくだまとは」とか「3だんとは」の説明は一切ないし、この後もない。ただ自然に、当然のように、書かれている。
恐らくこれは、片貝町の人々の常識であり、「普通」なのであろう。著者は地元の人ではなく様々なノンフクション絵本を描かれている方のようだが、きっとこの「普通」さを表現するため、敢えて説明は省いたのではと思われる。




知らない校庭にて

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一般観覧席である近くの小学校へ向かう。表通りから一本入り、暗い道を歩く。

ところどころを提灯の明かりが照らす。

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知らない町の知らない小学校。二宮金次郎銅像、初めて見た。
校庭は雨でぬかるんでいたけれど、座れそうな場所を探してレジャーシートを敷く。
森の木々の向こうに花火は揚がり続けている。残念ながらここではあのアナウンスは聞こえないが、時折風に乗って、さっきの屋台の唄が聞こえてくる。お祭りはまだ動き続けている。

一定の間隔をあけて打ちあがる花火。アナウンスが聞こえないので正式な大きさはわからない、けれど、全部が全部とにかく大きい。ほとんど尺玉だったと思う。

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そんな中でも、明らかにそれまでよりも打ち揚げの音が重く、大きく開いた花火があった。周りからも歓声が上がる。これが三尺玉か。

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炎がゆっくりと落ちて消えていく姿に拍手が送られる。

さっきのお赤飯を食べる。ほかほかだ。新潟の雨上がりの夜は肌寒かったので暖かいご飯は嬉しい。食べなれたお赤飯とは違う、お出汁のきいたほんのり醤油味のお赤飯。しかも新米。ほくほく食べた。

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しばらくその校庭で見上げていたが、やっぱりあのアナウンスが聞こえる場所にいきたいね。同行者と意見が一致した。
せっかくだから、誰がどんな想いで揚げているのか聞きたい。
レジャーシートを畳んで、また表通りに戻る。


揚がり続ける花火

校庭とは違って眩しい夜店、そぞろ歩く人々の賑わい。
花火は家の屋根のむこう、電線もちょっとかかっちゃうけど、全然見える。
近くのガレージではテーブルを出して、焼肉などしながら家族で花火を見上げている。小さな子どもたちは飽きてしまったようで、夜店で買ってもらったらしい光る棒を振り回して遊んでいる。

私たちはそこらへんの道に立って見上げる。アナウンスも聞こえる。

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「○○会の皆様!!!還暦おめでとうございます!!!!」
アナウンスの女性の、感極まった声。思わず周りの人々も笑ってしまうほど気持ちのこもった声。
その後の大スターマインは、4分にわたり盛大に打ち揚げられ続け、終了時には大拍手だった。

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還暦を迎えた同窓生が、還暦を祝して、そして同窓の物故者を偲んで揚げた、それはそれは賑やかで派手で煌びやかで美しい花火。

さっき屋台を曳いていた若者たちも、これから還暦を迎えるまで、もしかしたらそれ以降も、みんなで花火を揚げるのだろうか。大学に進学したり就職したりしてこの土地を離れてからも、夏には戻ってきて、こんな花火を見上げるのだろうか。その度に今までを想い、この先に思いを馳せるんだろうか。

私にはそんな思い出がない。

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よく、地方のお祭りを評して「あったかいお祭り」とか「ほっこりする」とかいう言葉を聞くように思うけど、
私がこの、片貝のお祭りについて感じるのは、そんなやわらかいものではない。
これは10年前、初めて来たときにも思ったし、今回友人を誘う際にも困ったのだが、「あったかいお祭りだよ!」なんていう表現ではしっくりこないのだ。しっくりどころか、全然ちがう。全然。

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私の知ってる言葉のうちでなんとか近いもの。
「壮絶」。

そうだな、壮絶だった。
壮絶なお祭りだった。

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ここには人生があって、日常があって、
ひとりひとりの人生が、日常が、ぎゅうぎゅうに脈々とあって、私なんかみたいなよそ者の見物をものともせず、今までずっとやってきたことを、きっとこの先も続けていくであろうことを、繋いで繋いで、ずっといくのだろう。
ふらりと立ち寄った、この町に縁もゆかりもない私にとっては、これは畏れ多いほどの壮絶なお祭りであった。

羨ましいという気持ちもある。
うそうそ、私、そういうの苦手なはず。濃いつきあいとか全然ダメ。中学も高校も同窓会なんて行かないし。
でも、正直、私このお祭りを羨ましいと思ってる。ちょっとだけ。

片貝の町には知り合いは誰一人いない。言ってしまえば、赤の他人。
今夜は、知らない、けれど親切な人の庭先にちょっと入れてもらって、家族や親戚が集まって花火をしているところをすみっこから覗かせてもらっているようなものだ。
綺麗!だけど、部外者。
部外者だからこそ気楽に花火を見上げていられるのかもだけど。
この町の人たちはよそ者を排除なんかしない。お醤油味のお赤飯おいしかった。でも、心のどこかでは「親密な人たちの間に迷い込んじゃってごめんなさいね…」という申し訳なさを感じていた。

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そして四尺玉

あつあつのたい焼きを食べ終わり、時計を見ると22時直前。
22時!四尺玉の時間だ!!
慌ててさっきの校庭に走って戻る。屋根の向こう、電線の向こうではなく、四尺玉をまるごと全部見たいんだ!

ぬかるむ校庭に再び足を踏み入れ、カメラを用意した直後、
今までのどんな打ち揚げよりも低く、鈍く、深い発射音が森の向こうから響いた。若干、不吉な予感すらもはらんだ音だ。
打ち揚げられた火の玉は、ゆっくり、ゆっくり、ヨロヨロしながら空を上っていく。420キロの塊だ、そりゃあ重いよね。もちろんそのときにはキロ数なんて頭にはなく、ただそのヨロヨロの火の玉の軌跡を、私たちは息を止めて見守っていたのだけど。

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数秒ののち、ゆっくりと開花。広がる。広がる。まだまだ広がる。
広がりながら、遅れて届く、低く太い炸裂音。轟音。耳だけでなく、体にぶつかってくる音、振動。ライブでスピーカーの前に立っている時と同じような、音圧なのか風圧なのかわからないあれ、が、まさか花火から発せられるとは。

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花火は重さのせいか、綺麗な円形にはなれずに少し崩れながら、それでも大きく大きく開いた。
さらにその中から小さな花火が開く。そのときの追加の炸裂音が追ってぶつかってきた。周りから小さく悲鳴が上がる。

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開ききった直径750メートルの花火は、燃え尽きながら地上へと落ちてくる。炎の跡がこちらに迫ってくるのがわかる。ああ、花火って立体なんだな、と冷静に観察する時間があるほど、ゆっくりと燃えて、ゆっくりと消えていく。

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遅れて届いた残響も、消えていく。それと入れ代わるように地上からの拍手。歓声。

四尺玉が無事に揚がった。開いた。見届けたことへの安堵感なのか、へらへらと笑ってしまう。ああ、よかった。片貝のひとたちの花火が、ちゃんと揚がった。いろんな人やいろんな気持ちに向けて拍手をする。よかった、よかったよ。

足元はどろどろだ。二宮金次郎銅像、暗闇にあってちょっと怖い。こっち見たら怖いな、と思って視界に入れないようにして学校を後にした。




帰りのバスは23時に片貝を発った。途中で立ち寄った温泉の露天風呂からは、知らない町の夜景が見えた。夜景といっても華やかなネオンなんかではない。街路灯とか夜更かしの家の窓とか控えめな信号とか、そういったもので構成されている素朴な、ぱらぱらの夜景。秋の日の真夜中過ぎ、知らない土地の知らない温泉で知らない町の夜景を見下ろしているこれは冗談なんじゃないかとちょっと思った。夢みたいとは言いたくないんだ、夢なんかよりもっと生っぽいから。さっきの花火だって、なんだか冗談みたいだったし。あれだけ揚がってたのにもう無いなんて、やっぱり冗談だろ。



<参考文献>

花火に熱狂する片貝―世界一・四尺玉の里―』渡邊三省,野島出版,1992年
はなび』 秋山とも子,教育画劇,2003年
日本の花火のあゆみ』武藤輝彦,リーブル,2000年
花火百華』小野里公成,丸善,2000年
『世界一四尺玉』片貝町煙火協会 (資料館内で無料配布されていたパンフレット)
花火入門 平成30年度版』 公益社団法人日本煙火協会(ネットより閲覧)

 

【2019年8月、引越しとともに追記】2018年9月、自由ポータルに掲載していただきました(タイトル外ですが載っています、しかしヒトデのインパクトの強さよ…!)

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