1月のある夜、路上でお金を拾った。
交番に届けた。
3か月経ったので受け取りに行こう。
校長先生のお話
思い出すことがある。
あれば小学校の朝礼。
「〇年〇組のサユリさんがこの前、お財布を拾ったそうです。
交番に届けたのですが持ち主が見つからなかったので、そのお金をサユリさんがもらえることになりました。
サユリさんはおうちのかたと相談して、そのお金で花の種を買い、学校に寄附してくれました。
校長先生から賞状を贈ります。みなさん、サユリさんに拍手をしましょう」
拾ったお金が自分のものになる、と知ったのがたぶんこの時。
と同時に、「『学校に花の種を寄附する』なんて、ちょっとキレイすぎないか?いい子ぶってないか?」
サユリと同学年の私はとげとげとした気持ちで賞状を受け取る彼女を見ていた。
存在は知っているけど話したことはない、サユリ。なんだよ、花の種を寄附するなんて…ぐぬぬ。
同時に羨望のまなざしでもあったのだと、今ではわかる。
あれから幾星霜。
ついに私にもその機会がやってきた。
「拾ったお金を交番に届けると、持ち主が見つからなければ自分のものになる」。
やってみよう、あの時のサユリの気持ちを追体験できるかもしれない。
あと、「持ち主がみつかれば、お礼に3割もらえる」というのもよく聞くけれど、本当なのだろうか。このさい確かめてみよう。
1月某日、お金を拾う
2022年1月のある夜。同居人エスシとのジョギングをそろそろ終える頃だった。先にある赤信号を見て速度を緩めた我々の足元に、それは落ちていた。
千円札だ。
とっさに手を伸ばした私を見て、
「え、拾うの?」とエスシは言った。周りの目を気にするようなそぶりだ。
でも、私は拾った。
お金を拾って交番に届ける、ということをしてみたかったのだ。そう、サユちゃんのように(サユリとはその後、中学で親友になったので呼び名もサユちゃんになりました)。
いや、正直に言うと以前、警察のお世話になった(語弊)時の手続きの面倒さを思い出しもして、拾ってすぐ目の前のコンビニのレジ前の募金箱に入れちゃってもいいかな、とも思った。
とにかく、私は拾った。
それには理由がもうひとつ。
昔、道に落ちている1円玉をスルーしようとした私に元カレが言ったのだ、
「1円でも5円でも、落ちているお金を拾って経済の流れに戻してあげるといつかお金が恩返しにくるよ」と。
元カレは遠くに去ったが、その言葉は今でも記憶にがっちりと残っている。
お金の恩返し。娘に姿を変えて美しい反物を織ってくれるのだろうか。雪の大晦日に米俵やなんやらを背負ってどすんどすんと訪ねてくるのだろうか。いずれにせよ「お金の恩返し」、いい響きじゃないか。げへへ。
そんなわけで私は拾ったのだ、千円札を。
最寄の交番がわからない
で、交番はどこだ。
この町に住んでそろそろ5年になるけど、最寄の交番なんてとっさに思い出せない。
いま走ってきたジョギングコース上にいくつかあったけど、遠い…よね?いや、そんなことないか、でも他になかったっけ?え、隣の駅にあったよね?いやいやそれは遠すぎるでしょ…あそことあそこだったらどっちが近いかな?えーっと…
8割しゃべっていたのは私だが、エスシは冷静にスマホで地図検索をして「うん、あそこが一番近いね」と判断した。頼りになるぜエスシ。
現在地から歩いて10分弱の、ふだんあまり行かない方向だ。そういえばひっそりと交番があったな。
私は拾った千円札を持ち、エスシはお寿司を持ち、交番に向かった。
この日は二人して夜ご飯プランが思い浮かばなくて、「じゃあ途中で買って帰ろう」と、ジョギング終了地点の1キロくらい手前のテイクアウト専門店で手ごろなお寿司を買っていたのだった。
汗が引き、寒さを感じ始める。1月の夜だ、寒いのだった。
よかった、唐揚げ弁当とかじゃなくて。お寿司なら寒さに強い。
交番到着
交番ではおまわりさんが電話をしていた。私が引き戸を開けようとすると手で制されたが、かまわず中に入った。その奥にもう一人別のおまわりさんがいるのが見えていたし、とにかく寒かったから。ジョギングでかいた汗は歩いた10分弱で完全に引いていた。交番の中もそれほど暖かくはなかったが、外にいるよりはマシだった。
電話中のおまわりさんは引き続きなにか話している。
奥から出てきたもう一人のおまわりさんに「お金を拾ったので届けにきました」と伝えると、「書類…つくるのに時間かかりますけど?」と聞かれた。私は張り切って「大丈夫です!」と答えた。望むところだ、この機を逃すと次いつこのチャンスがめぐってくるかわからない。
警察犬カードを探す
おまわりさんが書類を作成する間、私は交番の中を眺めた。
黒ずんだアルミサッシ、むかし小学校の先生が使っていたのと同じ灰色の机、何世代か前のエアコン。三方が大きな窓の交番はこんな夜は特に寒いだろう。おまわりさんの着ているコートの襟のファー、取り外せるのかな、私が持ってるのに似てるななどと思いながら待つ。
拾得場所や私の名前、住所など、私が伝えておまわりさんが書類に記入する。以前警察のお世話になったとき(語弊)、部屋の壁には『大麻草識別カレンダー』、机上には『警察犬カード』があったが、ここにはなさそうだ。あればもらうつもりだったのにな、残念。
日付早見表があるのだな
持ち主が見つからなかった場合、自分のものになるがその権利をどうするか聞かれ、私は欲しいですと答えた。持ち主が見つかった場合のお礼の受け取りは、辞退した。
おまわりさんは机の引き出しから下敷き状のものを取り出し、なにやら確認し、書類の左下に日付を書き入れた。
『拾得者の物件引取期間』という欄だ。つまり、今日が何日で、権利が発生するのがいつからいつまでなのかを間違いなく書けるよう、日付の早見表のようなものを参照していたのだな。なるほど、そういうものが用意されているのか。そういうのあったほうがいいよね、間違えないように。
(今写真を追加して初めて気づいたのだけど、令和5年じゃないね。いま令和4年だね。受け取れたけど!)
それからいくつかチェックの記入を求められたのちに書類が完成し、簡単な説明を受け、書類にサインをして私とエスシは交番を後にした。
やり遂げた充実感が私を満たした。ジョギング姿で千円札握りしめてちょっと恥ずかしかったけど、やりきってよかった。よし、おうちに帰ってお寿司だ!
拾得物件預かり書の観察
おなかいっぱいになったところで今回の書類をしみじみながめてみましょう。
サイズはA4。
拾得日時・場所、拾得者住所・氏名の欄につづいて
拾ったのが現金か物品か、そしてそれらの詳細を書くところがあるのだけど
記念貨だけ特記する欄があった。のちのち価値が変わったりするのだろうな。
そしてここ重要!
それぞれどういう意味かの説明を受けたあとで「なるほど、そういうことであれば」と自分自身でチェックを入れた部分。
この説明は意外なことが多かった。
どう意外だったのかは下記の表をご覧ください。
このうち特に、
1.持ち主が見つからなかった場合は連絡はこない(ので、見つからなかったのだと自身で判断する必要がある)
2.持ち主が見つかった場合、拾ってくれたお礼(専門用語では「報労金」というらしい)の金額は3割ではなく100分の5から100分の20まで。しかも善意のはなしではなく法律に「支払わなければならない」と書かれている
そうだったのか、思ってたのと違ったな。世の中には知らないことがまだまだたくさんある。
この「(後で考えて決めます。)」の重要性を痛感することになるとはこの時の私は知る由もなかった。
味わい深い案内図
そして裏面には「拾得者の権利」とか「所有権」とか文章がぎっしり書かれているのだけど、特に見てほしいのはこちらですよ
いまどきこのテイストの地図、めずらしい。まじまじと見てしまった。しみじみと良い。これから約3か月のあいだに持ち主がみつかったと連絡がなければ、指定された期間に私はこの地図を頼りに受け取りにいくのだ。そう思うとこれは新しい世界の地図のように感じられた。知らない世界への案内図。サユちゃんが小学生の時に踏み入れて、私はまだ知らない世界。
時は来た
さて、月日は流れ、季節は移ろい、
3か月が経ち、「拾得者の物件引取期間」となりました。連絡は来ていません、つまり、落とし主はみつかっていないということ。
(本当は、もうもう指折り数えて、引取期間になったら初日に一目散に受け取りに行っちゃうかも私…と思っていたのだけれど、実際には日々忙しくしていたのでそんなことはなく、はっと気づいたら引取期間に突入していた。意外とこんな感じなんだな。)
満を持して、
行くぞ、拾ったお金を受け取りに!!
迷って迷子
遺失物センターのある飯田橋駅へ降り立った私は、迷っていた。
お昼時。ランチを先にするか、受け取りを先にするか。
電車の中で検索しておいたパスタのお店の場所と、遺失物センターの場所。どっちが近いかな、どう行ったらいいかな…
決めかねたまま電車を降り、階段をのぼり、改札を出たらパスタのお店とも遺失物センターとも逆の西口だった。間違えた。
しかし目の前がすぱーんと抜けていて気持ちがよかったので思わず写真を撮った。
気を取り直して東口方面に歩く。日傘必須の眩しい日差し。お金を拾ったあの寒い夜が幻のよう。
私は方向音痴である。そして地図の読み取りが苦手である。スマホの地図を開き進行方向に向きを合わせながらきょろきょろと進み、時々立ち止まって紙のほうの地図を確認する。パスタ屋はどこだ、遺失物センターはどこだ。こうなったらパスタ屋か遺失物センターか、先にたどり着いたほうからにしよう。
スマホと紙とを見比べながら。歩道橋の存在感が頼もしい。パスタ屋もこの近くみたいだし、ひとまず歩道橋にのぼろう。
するとそこには遺失物センターへの案内板が。
よし、遺失物センターに行くことにしよう。あっさりピーポくんの言いなりだ。
次々と案内板が現れ、このあとは紙の案内図もスマホも参照することなく無事にたどり着くことができた。
遺失物センター
(センター内は撮影禁止とのことで写真はありません)
自動ドアを入るとすぐそこが受付。取り調べ室みたいな部屋にでも通されるのかと身構えていたからちょっと拍子抜けした。
ちいさめの郵便局みたいな待合椅子とカウンター、それに番号札発券機。
落とし物をした人が引き取りに来るのと、私のように拾った人が受け取りに来るのとで発券機は分かれているのだろうか?と眺めてみたが、特にそのような表示はなかった。
番号札をひくと待ち人数0、印字されたのは99番だった。
5、6人の老若男女と、公衆電話。警察犬カードはここでも見当たらなかった。
1分も待たずに呼ばれてカウンターへ。「落とし物ですか?」ときかれ、例の紙(『所得物件受け取り書』)を出しながら「いえ、拾ったお金を受け取りに来ました」と伝える。本人確認書類として免許証を提示し、「では次はお名前でお呼びしますのでお待ちください」。再び椅子に戻る。
急に混み始めていた。こんなにもひとは落とすものなのか。こんなにもひとは受け取りにくるものなのか。
いよいよ受け取り
次は2、3分で名前を呼ばれる。受領書に名前・住所・電話番号を記入する。
千円札は普通にお店のレジにあるような水色のトレーに置かれていた。ジップロック的なものに入れられて出てくると思っていたが違った。
「これ、あのとき拾ったお札そのものですか?」と尋ねると、「いえ、別のものに差し替えてあります」とのことだった。これ100万とか1000万とかでもそうなるのかな、立て替えるの大変そうだけど。
千円札をお財布にしまい、終了。あっさりとしたものだった。
さっき入ってきた自動ドア、外に出るときのこちら側には「傘のお忘れ物にご注意ください!!」と貼られていた。
落とし物を受け取りに来て傘を忘れて帰るなんて、なんか落語みたいだなと思った。
おしまい。
ではない。
このお金の使いみち
さて、この1000円の使いみちである。
あの寒い冬の夜、わざわざ拾った理由は「お金を拾って経済の流れに戻してあげるといつかお金が恩返しにくる」を実行したかったからである。
ふたたび経済の流れに戻す。そこまでしてやっと任務完了だ!
脳内会議
よく言いますね、「頭の中の天使と悪魔が」、なんて。
でもこの場合、天使でも悪魔でもなく、ただ私です。だって正しい手続きののち、自分のものになったお金だから。
でもね…
やっぱり悩むわけですよ、このお金の使いみち。
突然自分のものになった1000円。自分自身の娯楽のために使っていいものか。公共の福祉に供するべきではないか?
たった1000円で?!とお思いのかたもおられましょうが、事実わたしは考えこんでしまったのだ。
この数か月の間、受け取ったらどうしようかをぼんやり考えてはいた。
あの夜、コンビニの募金箱に入れてもいいかと思ったのは嘘ではない。
ただ、人は選択肢が多いとその分迷うのだ。結局決めかねたまま、今日にいたる。
いま私が小学生だったら、あの時のサユちゃんと同じように学校になにか、と思っただろうか。思ったかもしれないな、あの頃の私の世界はほぼ学校だったから。
でも、今は私は小学生ではないし、世界はもう少し広い。だから迷うし、悩む。
1000円くらいでちょうどいいもの…10分マッサージとか?宝くじ買っちゃう?どこか美術館でも行こうかしら。なにか本でも買う?ちっちゃいアクセサリーでもいいな。いや普通にごはん代にしようか。神社に行ってお賽銭?やっぱり募金箱に入れちゃおうか…でも、なんかめんどくさくなった結果の募金って逆に失礼じゃないか?自意識との闘いでぐるぐるぐるぐる。
なるほど「(後で考えて決めます。)」はこんな時のための選択肢だったのか。今回1000円の使いみちでもそうとう悩んでいるんだもの、これが1万とか10万とか100万とかだったら、もうもう悩んで悩んで、こんなに悩むくらいならもう受け取らない!って決断することだってありえる。あの一文には人生が詰まっていたのだな。
結論
ふむ、原点に戻ろう。
「拾ったお金をふたたび経済の流れに戻す」。
それが目的だ。
つまり、なにかしらに使えばそれは達成される!よし!!開き直ろう!
と言いながらその後もなんだかんだ悩み、結局、ボランティア団体の販売するフェアトレードのアクセサリーを購入。ふう、これで世の中のために使った感じになったから肩の荷が下りたぞ。
でも私、世の中のために使ったぞ!と思うことで自己満足していないだろうか。いま例のお年頃だったら欺瞞とか偽善とか誠実とか正義とかの言葉のはざまでねじ切れちゃうところだ。サユちゃんはこういう葛藤、なかったのかな。いや、小学生だったら私もなかったかもしれない。善きと思えることを迷いなく実行する力があの頃の私にはあったかも。今は余計なことを考えてるな、いくつになっても自意識との闘いは終わることがないのか。嗚呼。
むずむずしたので、あの夜交番に付き合ってくれた同居人エスシと一緒に食べるためのチーズケーキを買ってバランスを保った。
結局1000円なんてとっくにオーバーしてるけど、それとこれとは別の話。
経験 is プライスレス。
↓フェアトレードのアクセサリーはこちらで購入しました。よかったら見てね。
↓遺失物法はこちら。ちょっと読んだだけじゃ理解できなかったので後はまかせた