おしゃれコインランドリーどころか、
ふつうのコインランドリーにだって行ったことがなかったのだけれど。
泥のついたままのコンバースと、海水が染みたままのサンダルをそろそろ洗わなければ、と思いながらもうずいぶん経ってしまっていた。庭もガレージもないし、お風呂場で洗うのも、なんとなく気が引ける。
少し前、ポストに入っていたチラシに「コインランドリー新店オープン」と書かれてはいたが、それはコインランドリーとは思えないような、おしゃれな物件であった。えっこんなおしゃれなのが出来たの!?と驚くと同時に、そこに「スニーカー洗い可能」の文字があったことを、私は見逃していなかった。
今こそ、行ってみようではないか。
初めてのコインランドリーに、よりによっておしゃれコインランドリーに!
行く前に早くも驚く
そう思い立ったものの、件のチラシはもう捨ててしまっていたし、店名も覚えていない。
だが大体の地名&コインランドリー、で検索すると、あっさり見つかった。掲載されている写真はチラシで見たのと同じく、おしゃれであった。
さらにいろいろ見てみると、そのコインランドリーで現在どの洗濯機が使われているか、あとどれくらいで終わるかなどもわかるようになっていた。
スニーカー用の洗濯機は誰かが使っている模様。しかし残り運転時間は2分と表示されていたので、歩いて向かう間に使い終わるだろう。
っていうか、ネットでこんなことまでわかるなんて知らなかったぞ。
強風の中、出陣
汚れた靴2足を持って出発。
8月後半の、暑さの厳しい昼下がり。今日はやたらと風が強い。
さっきのネットの情報によるとスニーカー用の乾燥機もあるみたいだったけど、この強風なら帰ってからベランダで干せばすぐ乾くだろうから、洗うだけで、乾燥はしなくていいかな。
風のせいでのぼりがばっさばさ。
ところで前述のとおり、コインランドリーを使ったことがない。
正確に言うと、旅先のホテルでコインランドリーを使ったことがあるけれど、それは一緒だった友人が操作してくれたし、なおかつ店舗型というか、街なかにあるコインランドリーは、通りがかったことはあれど入店したことはない。
こういうイメージですよね、いわゆるコインランドリーって。
前を通るとあたたかく湿ったにおいがすることがあって、そんなときには今まさに乾かされんとしている布類を想像することはあったのだけど、
今までの生活の中で、コインランドリーを使う機会がなかったんだよな。
だからといって、
デビュー戦を飾るコインランドリーがこんなにおしゃれでいいのだろうか。
ばばーん
あのチラシをみたときには
ランドリーという名のお洋服やさんがあるのと同じように(ありますよね?)、
ランドリーという名のカフェかと思ったくらいなんだ。
だからおしゃれであることはわかっていたけれど、こうしていざ実物を前にするとそのおしゃれさに気おされそうになる。ええい、負けるもんか!
いざ入店!
自動ドアを開けて入ると、奥から「いらっしゃいませー」の声。
ここはコインランドリーでありながら、店の奥はいわゆる「クリーニング屋さん」としても営業しているらしかった。
お客さんの姿はない。私ひとりだ。
外とはうって変わって、エアコンの効いた涼しい店内。歩いてきてかいた汗がすっと引く。
私はコインランドリーデビューであることを奥の店員さんに悟られぬよう(なんで?)、落ち着きを装ってすばやく視線を動かした。
板張りの床。おしゃれなBGM。ずらりと並んだぴかぴかの洗濯機。
私の目指すスニーカー洗いは…
あった!
…。
思ってたよりアレだな。
なんというか、まわりのきらきら、ぴかぴかの洗濯機に比べるとずいぶん…
地味、いやいや、素朴というか、うん。親しみやすいですよねー。
右往左往
そもそもいくらかかるのかもわからず来たのだが、20分200円とのこと。コインランドリーの相場はわからないが、思っていたより安かった。
中をのぞくと、鮮やかな黄色いブラシ。家の洗濯機のなかでガソリンスタンドの洗車ブラシが居心地悪そうに待機してるみたいだ。
ざっと使い方説明を読んでからお金を投入し、フタを閉める。ざーっと水が入ってきた音がする。え、ここからどうすればいいの?あれ、どこに説明書いてあったっけ?あれれ?あっフタの内側だ!慌ててフタを開けてもう一度使い方を読んでみると、洗濯槽シャワーがどうとか書かれていた。まず洗濯槽内を水で流してくれるってこと?お金を入れて10秒以内に押せって?え、ボタンどこ?今何秒?まだ間に合う?水ざーざー言ってるよ?えっえっ?
フタの内側に説明があるなんて…閉じたら読めない…
さらに、洗濯槽内をまず水洗いするためのボタンはフタを閉じないと見えない場所だ。ふたたびフタを閉めて(ダジャレです)そのボタンを慌てて押すも、なんの変化も起きない。もう一度押すが、同じ。
うーーーーん…いきなり、つまづいた感じがするぞ。どうしよう。
私、車の教習所のいっちばん最初のシミュレーターでエンジンがかけられなかったんだった。あの時の誰にも頼れない、情けない、泣きそうな気持ちがよみがえってくる。
それでも冷静を装い、様子を見る。
なんだか洗剤のにおいもしてきた。ざばっ、ざばっ、と、さっきの黄色いブラシが回転しているような音も聞こえる。
これは、たぶんアレだ、もう洗いがはじまっている…!!
思い切って一時停止ボタンを押してフタを開けると、果たせるかな、黄色いブラシがもこもこの泡にまみれているではないか。ほら、やっぱりもう「本番」だ!
慌てて、しかし冷静を装って(だからなんで?)持ってきた靴を泡のなかに沈め、一時停止を解除する。再始動だ。
ふぅ…
こうして無事に、コインランドリーデビューを果たすことが出来たのであった。シミュレーターのエンジンがかけられなかった私でも、今ではちゃんと一時停止ボタンが押せるようになったのだ。
カフェを覗いてみる
洗いから脱水まで20分ほどかかるらしいので、一息つこう。
あらためて店内を見渡す。一番向こうにはカウンターがあり、その中には店員さんが数名。クリーニング屋さん部分として、預かっている服がたくさんかかっているのが見える。
その手前にはカフェ。そうだ、カフェ併設って書いてあった。よし、行ってみよう。
ガラス張りのカフェスペース。
ここだけ見たら絶対、コインランドリーだなんて思わない、絶対。
レジには誰もいなかったけど、私に気づいた店員さんが奥から出てきてくれた。
カフェラテを注文。
飲みながらスニーカーの洗い上がりを待とう。
謎のテーブルとふたりのマダム
カフェスペースのすぐ横には、大きなテーブルが2台。しかし椅子がない。
それではと、通路に置かれた椅子に座り、店内を眺めることにした。
ずらっと並んだ洗濯機。似ているけれどよく見ると、いくつか種類があった。
洗濯機と、洗濯乾燥機と、乾燥機。サイズもMとかLとかあって、洗いたいものの量にあわせて選べるみたいだ。
中に洗濯物が入ったままの、白い手提げ袋がかけてあるのが1台。持ち主がまだ取りにきていないようだ。
静かである。
BGMのジャズと、スニーカーの洗われる泡交じりの水音だけが響く。
家で使っている洗剤とは違うにおい。
ウッディな床、コンクリート剥き出しの壁、ギャラリーのようなスポットライト、よく効いた空調。
ここはどこなんだ?
途中、ふたりのマダムがはいってきた。華やかなエプロンを身につけている。保育園か、介護施設かのスタッフといった様子である。
白い手提げ袋の持ち主ではなかったようだ。なにやらおしゃべりをしながら、別の洗濯機に向かう。気付かなかったがもうひとつ、運転を終えていた洗濯機があったようだ。
ふたりは手馴れた様子でどこからか銀色のカートを取り出し、乾いた洗濯物を洗濯機から出し、そのカートに載せてカフェスペースのすぐ横のテーブルに運び、洗濯物を畳みはじめた。
なるほど、さっきの大きなテーブルはそのための作業台だったのか。
マダムたちが去った後、作業台を改めてみてみると銀色のカートもそこに仕舞われていた。なんだかシェアオフィスみたいだな。シェアオフィス使ったことないけど。
水音と静寂
スニーカーを入れた洗濯機からは、いつしかすすぎの水音が聞こえてきていた。
奥では店員さんたちがひそやかに談笑している。
表の大久保通りからは車の行き交う音とかすかな振動が伝わってくる。
風は相変わらず強いようだ。
カフェラテを飲む。店内はしんと冷えている。
ぼんやりと考え事をしていると、水音が消え、脱水の回転音に変わった。
お客は相変わらず、私ひとりだ。
時々スマホをいじる。
天井近くに設置されたモニターは、無音で洗濯機の使い方を映している。
ありもしない時計の、ありもしない秒針の音が聞こえてくるような気がする。
…この感じ、なにかに似ているな。なんだったっけ、思い出せない。
急に洗濯機の音が消えた。
アラームもメロディもなく、停止が訪れた。
洗濯機のフタを開け、靴を取り出してみる。
このまま袋に入れて持って帰っても問題はない。家のベランダで乾かそう。
そう考えていたはずなのに、
私はその洗濯機の上にある、スニーカー乾燥機に靴をセットした。
ご祝儀、ってやつだ。
マグロだとかサンマだとかメロンだとかスイカだとか、季節の初モノはご祝儀価格といってけっこうなお金で取り引きされると言うじゃないか。それと一緒だ。
わたしのコインランドリーデビューを祝して、乾燥機代をはずもうじゃないか!
100円だけど、心の中では熨斗袋に1万円札を束で入れて賽銭箱に放り込んでいる。景気良くいこうぜ!
「乾かすぜ!」
乾燥は、20分100円。
相変わらず誰も入ってこない店内で、椅子に座って仕上がりを待つ。
清潔な店内。
乾燥機のゴーッという、変化のない音。
カフェラテを飲む。
遠くでセミが鳴いている。
外の暑さを思い出そうとするが、よく効いた空調のせいでうまくいかない。
風の音がする。
時々スマホをいじる。
完全な無音ではないのに、ひんやりとした静寂。
…あ、わかった。
この感じ、病院の待合室と似てるんだ。
待つしかない感じ。待つ間、何かきちんとした別の用事を済ますこともできず、ただ「待つ」ことをする時間。
誰ともしゃべらず、音に耳を澄ませ、できるだけエネルギーを使わず過ごす。
本を読んでもいいし、スマホをいじってもいいけど、中心となるのは「待つ」行為。
誰もいない。
じっと、洗濯機が並んでいる。
始まらない物語
たった20分では、靴が乾かないことは知っていた。
ただなんとなく、もう少しここにいる理由を作りたかったんだ。
ここ、24時間営業ってなってたけど、夜はどんな感じなんだろう。
勝手な希望だけど、偶然の出会いとか、ここだけのコミュニティとか、そういうの無くていいな。
映画の舞台とかにも、ならないで欲しいな。物語とか、始まらなくていい。
ただひっそりとここにあってほしい。静かに時間が過ぎるのを待つだけの過ごし方が出来る場所として。
乾燥機の音が、ぱたっと止んだ。
やはりアラームもメロディもなかった。
靴を取り出す。ほんのりあたたかい。
荷物をまとめて店を出た。
外は相変わらず風が強いままだった。
日差しは傾き始め、暑さは少しだけ緩んだようだ。空気の密度もコインランドリーに入る前よりも少しだけ夕方に近づいていた。
この記事を書きながら、最初に調べたサイトをひらいてみた。
さっきとは違う、いくつかの洗濯機が稼動しているのがわかった。
私の使ったスニーカー洗濯機も、他の誰かのスニーカーを洗っているようだ。
私は家に戻ってきたが、あのコインランドリーはあのまま、あそこにあるのか。
なんだかへんな感じがするな。
あの白い手提げ袋はまだ、持ち主の帰りを待っているのだろうか。
あのコインランドリーは、さっきと同じように静寂を保っているのだろうか。
【2019年8月、引越しとともに追記】2018年8月、自由ポータルに掲載していただきました(タイトル外ですが載っています)