フェリーという存在は知っていたけれど、それを使うのは車やバイクとともに移動する人たちだけだと思っていた。
まさか、車もバイクもない私が、フェリーで小樽に向かうことになるとはね。
しかも、想像以上に盛り上がる経験だった。
なんでフェリー?
夏の旅行の計画を練る私のそばで、同居人エスシがうるさいのだ。
「夏のフェリーは気持ちいいよ~」
「フェリー旅、楽しいよ~」
小樽が故郷のエスシは学生時代、帰省するのによくフェリーを使っていたといい、やたらと船旅の楽しさをアピールしてくる。
船なんて私、遊覧船とかグラスボートとか、あと沖縄で島間移動くらいにしか乗ったことがない。
そんなにフェリー旅経験を自慢してくるなら、私も乗ってやるわ!
こうして8月下旬、私は夜行バスで新潟へと向かった。
その証言は正しいのか
ちなみにエスシの、フェリー旅に対する証言はこうだ。
エスシがフェリーで帰省していたのは「10年くらい前かなぁ?」と言うが、エスシは40代。学生時代は20年近く前のことだろう。また、夏冬ともに使ったことがあるそうで、もろもろの記憶はごっちゃになっている可能性もあるが、
今回は私のひとり旅で、エスシの記憶がどこまで正しいかを検証したい。
早朝の新潟駅
朝の7時、新潟到着。
スーツケースをゴロゴロさせながら、朝ごはんを食べられそうなお店を探して歩く。
ええと、ロイホ以外のお店は…
歩く…
歩く……
…
検証結果:ロイヤルホスト以外なかった
いやいや、新潟駅、立派なところよ。絶賛工事中でこれからますます便利になるのだと思う。しかし、いかんせん朝7時だ。お店はたくさんあっても、朝ごはんを食べられそうなのは確かにロイヤルホストくらいしかなかった。(後で探したらスタバもあった)
老若男女ひしめく待合室
10時過ぎに駅前から路線バスに乗り、20分ほどでフェリーターミナルに着いた。
(大人でもはじめてののりものはわくわく&緊張するものですね!なので写真を撮り忘れました!)
驚いたことに、待合室にはたくさんの人がいた。老若男女、一人旅、バックパッカー、カップル、グループ、そして赤ちゃんを含めた家族連れもいる。
え、フェリーって、こんなに人気があるの??
学校はまだ夏休み期間とはいえ、8月下旬の平日。しかも、フェリーだよ?飛行機でもなく、新幹線でもなく、フェリーだよ?(二回言った)
フェリー会社のサイトを見て、いろんなタイプの客室があることは知っていた。だけど専用テラス付きのスイートルームなんて誰が泊まるんだよ、と思ったのだ。
でもこうして実際に目の前でさまざまな人たちが乗ろうとしているのを見て、そうか、フェリーにはいろんな乗客がいるんだな…とやっと納得した。
車もバイクもなくたってフェリーには乗っていいんだ。
想像と違う
うきうきと乗船する私。
いきなり、きらきらとした吹き抜けだ。
え、わたし乗る船まちがった?これは豪華クルーズ船??
その他、はしゃぎすぎて写真を撮り忘れたがフィットネスルームやカラオケルームなんかもあって、目も口も開きっぱなしだった。周りの乗客も、興奮してふわふわと歩いているように見える。
あらぁ…
思ってた「フェリー」と、全っ然ちがうわね。
車とバイク、ガソリンと排気ガスと汗のにおいが染みついた、荒々しい船だと思っていた。
エスシの言う「船旅サイコー」がちょっとわかった気がする。
船内を探検していたらいつのまにか出港していた。いざ、小樽へ!
デッキで読書を試みる
船内では缶ビールを開けてくつろぐ人々が現れている。そうだよなぁ、大人の船旅だったらこういうときビールだよなぁ。私はお酒を飲めないが、その姿はうらやましかった。
証言2:潮風に吹かれながらデッキで読書は気持ちが良い
そうだ、私にはビールの代わりに読書があるじゃないか。
いそいそとデッキに出てみる。
…暑い。
暑い!
ゆるく風は吹いているけれど、まだ陸から近いからか、まあまあ暑い。
うーん、爽やかな読書って感じじゃないな。もう少ししたら涼しくなるのかな。いったん中に戻ろう。
検証結果:まだちょっと暑いかな
イベントがある
壁のポスターが目に入る。
クイズラリーとクロスワード!
正解すると抽選で賞品が当たるらしい。
あらあら、大人の多いこんな場所でこの手のイベントだなんて、きっと参加者は少ないに違いないわ。せっかくスタッフさんががんばって企画したのでしょうから、わたし張り切って参加します!イベント運営経験があるとこういうとき運営側の気持ちになる。盛り上げてあげたい。
記名欄があるけど、フルネームだと当選して貼り出されたときに恥ずかしいから下の名前だけでいいよね~参加者少なすぎて両方商品当たっちゃうかもね?
と、いそいそとクイズラリーを回り、クロスワードを解き(けっこう難しかった)、では回答ボックスへ…!と勇んで向かったら、大人たちが続々と集まっている。
え。こんなに参加する人いるの?
回答ボックスの前の、使用済の鉛筆も小山になっている。
わーみんな本気じゃんと思いながら私も投函完了。いま回答用紙を取りに来るファミリーも、投函にくるカップルも、まだまだいる。船旅を隅々までエンジョイしてやろうという気概のある人々が乗船しているのだな。船旅の未来は明るい。
(数時間後に貼りだされた当選者名はみんなちゃんとフルネームでした。私の名前はありませんでした。両方当たる気でいた私の心の強さを褒めてほしい)
船の揺れ
16時間の船旅なんて、船酔いしないかな?とちょっと心配だったが、船がまあまあ大きいからか波が穏やかだからか、今のところ大丈夫そうだ。
それどころか、波のゆれを新鮮で楽しく感じられている。
カーペットの下の下のほうからゆっくりと押し上げられるような感覚。どっしりとしたエレベーターの重力に似ているけれど、不規則な小さな加速と減速。
ああ、これが波なんだ。
快適なレストラン
食事。
周りではお弁当を広げている人も多いけれど私はなにも持ってこなかったので、昼食も夕食も船内のレストランを使った。
証言3:注文方法がわからず、レストランでの食事をあきらめた
エスシは攻略できなかったというレストランは…
検証結果:完全タブレット注文だったので問題なし!
しかもちゃんとおいしい。
海を見ながら快適にごはんタイム終了。支払いもセルフレジで、びっくりするくらいスムーズだった。
夕日は反対側に
夕食どきはちょうど日没の頃。
証言4:遮るもののない水平線に夕日が沈むのは感動する
ちょうどレストランの順番待ちで名前を呼ばれてしまった。レストランは日没の方向と反対側だったため、ジャスト日が沈むという瞬間は見ることができなかった。
検証結果:きっと感動したであろうなぁ
日本海で入浴中
混む前にと思い、ちょっと早いけれど18時頃に大浴場へ。
証言5:大浴場では船の揺れに合わせて桶がザザーーっと滑っていく
ビジネスホテルと比べても全く遜色のない規模と雰囲気の脱衣場、大浴場。
違うのは、つねにゆっくりと揺れているということと、浴槽の窓からの景色が海、ということくらい。インフィニティ風呂だ。
しかも、露天風呂もあるというではないか。
もちろん、入る。
日が沈んで完全に暗くなるまでの間の、少しだけ明るさを残した空。
雨なのか、風に飛ばされた波なのか、細かい水が顔にかかる。
日本海の上でいま私はお風呂に入っている。日本海上で裸だ。
なんなんだこれは。思わず頬が緩む。
ゆっくりとした揺れにおしりの下から持ち上げられ、ふっと力を抜かれて降ろされる。船のお風呂って、もっとじゃばじゃばと波打つのかと思っていたけどそうでもないな。めまいとも違う、波のプールとも違う、もっとおおらかな揺れだった。
検証結果:桶がザザーっ?そんなことはない!
ロビーの人々
お風呂を出る。
ロビーや通路では仲間同士でビールを飲んだり、紙の地図を見ながら旅行の計画を練ったりしている人たちでさざめいている。
バイクのヘルメットを足元に置いてビールを飲みながら談笑する、日に焼けた男性たち。
備え付けの新聞をめくる女性。
お土産物屋さんでTシャツを選ぶ親子。
ロビーのテレビをなんとなく眺める男の子。
乗客全体の間に親密な時間が流れている。
今日この日に、船での旅を選んだ者同士の親近感?
それとも、今ここでなにかあったら一蓮托生、という緊張感?
ゆるやかにでも、絶え間なく身体がずーっと揺られていると、普段と違う心持ちになるみたいだ。
初めての船旅は、身体的にも気持ち的にも目新しいことばかり。
アイスを買って部屋で食べた。冷たさと甘さがじんわりとしみた。
証言6:携帯の電波はほとんど入らない
検証結果:使えないなら使えないでまあいいよね
灯台を見る
21時。部屋のテレビでは、船の現在地が示されている。
北海道のつま先あたり(松前半島のこと)に差し掛かるころだ。どこかの灯台がみえるかな。
部屋を出てデッキへと向かう。
おや、明らかに昼間よりも船が揺れているな。歩いていても波を感じる。
デッキに出る。
強い風。小雨?霧?どこからか水が飛んでくる。
暗い。でも時々、星は見える。
船は昼間よりも揺れている。
私の他には男の人が一人。なにをしているのだろう。(と、あっちも思っているだろうな)
手すりにつかまって陸のほうを見ると、点滅する光が見えた。灯台だ。
不規則である。
灯台って、規則的に点滅を繰り返しているのだと思っていたが、どうも様子がおかしい。船は揺れていてちょっと怖いが、気になってスマホを取り出し、時間を計測してみた。
だいたい6秒と18秒間隔で点滅を繰り返しているらしい。そんな不規則なことある?教えて!灯台博士!
しかし、それどころではない。この揺れのなかで手が滑ったらスマホは海へ、足が滑ったら私も海へ…
怖い!
もっと灯台を見ていたかったが撤収だ。
デッキの端の大きなスクリーンでは、プロジェクトXが流れていた。
荒波に揺られるプロジェクトX。東京から遠く離れた松前半島沖の海上では、夜の日本海に向かってプロジェクトXが放映されているのだな。知らなかった。
夜の船内
船内へ戻ると、閉じたカフェのパネルがゆらゆらと揺れている。
おお、波が本気出してきたな。無意識に手すりにつかまってしまう。
狭い部屋では船酔いするかもと思い、サロンで本を読むことにした。
誰もいない。21時半。みんなもう寝てしまったのだろうか。
消灯時間の22時になったので部屋に引き上げる。
快適な個室
証言7:知らない人たちとの大部屋での雑魚寝は楽しい
部屋。
こじんまりとしたビジネスホテルの部屋を想像してほしい。
そこから、バス・トイレ・洗面台と、間接照明、鏡、クローゼット、冷蔵庫、ポット、マグカップ、ゴミ箱、ティッシュ、机の上のレターセット、そして窓を取っ払い、四方の壁と天井と、ベッドのサイズをぎゅっとする。
枕元には電源があり、足のほうには壁掛けテレビ。必要最低限のものが濃縮された環境で私はすっかりごきげんだ。
壁は薄いので、隣の部屋の人が荷物整理をする気配を感じるし、寝息も聞こえる。
大海原に独りではないと感じられて、ちょうどいい。
検証結果:この船には大部屋はなかったよ、でも個室もいいよ
仮眠
揺れは大きくなっている。身体を起こしていると船酔いしそうだ。横になれば船酔いしないという保証はないのだが横になり、明かりを消す。23時にスマホのアラームをセットした。
眠りに落ちながら、この揺れは船の揺れ…地震じゃないから怖くないよ…と自分に言い聞かせるが、一瞬寝落ちしては「はっ!地震!」とビクっとしてしまう。違う違う。
それを何度か繰り返すうちに、23時。鳴る前のアラームを止めて、私は部屋を出た。
船室を抜け出して
夜になると海が荒れるのだろうか、それとも単に、今日の天候や海域のせいなのだろうか。
揺れは昼間よりも明らかに大きい。横にも上下にも引っ張られる。「地に足をつけて」、という言葉は言い得て妙だなぁなどと感心しながら、廊下の手すりをたどってロビーへ出る。
デッキへ続く通路では、タブレットで大音量でゲームをする男の人が一人と、本を読む男の人が一人。夜の日本海には、いろいろな人がいる。
彼らの横を通過して、私はデッキへの扉を開ける。扉を風が押し戻してくる。
証言8:夜中、すれ違う船の乗客同士で手を振り合う
昼間のうちに、新潟行きのフェリーとすれ違う時間を確認しておいたのだ。
夜遅い時間だと言われた。
どうしても見たかった。
私と逆の航路 ー小樽から新潟ー のフェリーの乗客と、手を振り合いたかった。
それで、この時間まで起きていたのだ。
23時。
夜の海、怖すぎる。
さっきよりも星の数は多くて、陸も船尾の左右に見える。
灯台らしき明かりも、いくつか見える。
でも、船の進行方向に目を向けると、なんにも見えない。波も見えない。闇があるだけだ。
船は大きく揺れる。
上下と、左右と、斜めと、いろいろ合わさったパターンで揺さぶってくる。
風もめちゃめちゃ強い。吹き上げられた髪の毛は視界を遮り、口にも入る。眼鏡を手で押さえる。慌てて手すりを掴む。濡れた手すりはつるりと滑る。
船のエンジンの音と、風の音と、波の音が絶え間なく聞こえている。風の音は時おりさらに大きくなり、それに合わせて船も揺れる。霧なのか波なのか、デッキは濡れている。
私は細い柵を握りしめながらよたよた歩く。遠くに灯台のあかりがあるけれど、船の上下に合わせて見えたり見えなくなったりする。
新潟行きのフェリーが来るはずの方向を見る。
しかし、なにも見えない。暗闇だ。風ばかり吹いている。揺れは激しい。大きな波が来たら、どうなるのだろうか。暗い。怖い。
怖い。
闇とは、恐怖なんだな。
スクリーンの放映は終わっているし、誰もいない。
少しの明かりはついているけれど、海を広く照らすほど強くはない。
船体横の波は泡立って、青白く見える。
いま大きく船が揺れて、私が落ちたら
誰か気づいてくれるだろうか?
監視カメラには映っているかもしれないけれど
日本海だもんな、広いもんなぁ…
見つけてはもらえないだろうな
すれ違い予定時刻までもうすぐ。
せめて風を避けようと、つたい歩きをして風よけのあるエリアに逃れる。
透明な風よけに自分の顔がうつる。顔を寄せて向こう側の海を見ようとするけれど、海が暗すぎて映り込んだ自分の姿しか見えない。
これじゃあフェリーとすれ違っても、気づけないかもしれない。
ここまで来て、見逃すなんてくやしい。向こうの船に手、振りたい。
そう思って、再び風よけのないエリアに出てみる。
闇。風。波。
怖い、怖い。無理無理!
また風よけの陰に戻る。
これは命が、命が危ない。
でも、見たい。手を振りたい…。
この繰り返しをすること、30分。
予定時刻はもう過ぎているけど…まだかな…
私、はっと気づく。
あれ、もしかして23時20分じゃなくて、22時20分だった…?
案内所で尋ねたのだった。
最初、2時と言ったように聞こえて、2時?22時?どっち?と思って、それで、私は「22時ですね?」って聞き返したんじゃなかったか…?
スマホを開いて船内で撮った写真を確認する。
すれ違いが23時を過ぎるということは…なさそうな感じしますね…
間違えた…
30分恐怖と戦った私はおとなしく船内へと引き上げた。タブレットで大音量でゲームをする男の人は変わらず同じ場所にいた。
検証結果:振りたかったな、手…
部屋に戻って寝た。
夜中の船では物が転がる
深夜、目が覚める。
船はあいかわらず揺れているけれど、眠気のほうが勝っているので酔わないし、怖くもない。
船のエンジン音。どこかの部屋で何かが転がる音。
カララ、かたん。ばたん。
カララ、かたん。ばたん。
揺れに合わせて規則的に、転がる。
その音を聞いているうちに、また眠りに引き込まれていく。
カララ、かたん。ばたん。
カララ、かたん。ばたん。
しばらくしてまた目を覚ます。
転がるなにかが増えている。
カララ、かたん。コン、ばたん、トン。
カララ、かたん。コン、ばたん、トン。
誰もがぐっすりと眠っているのだろう。
夜の底の海の上で、物は転がり続ける。
カララ、かたん。コン、ばたん、トン…
小樽到着
朝。船は無事、小樽港に入港。
通常は4時半下船だけれど、私は6時下船の手続きをしていたのでゆっくり起き、ゆっくり支度をして部屋を出た。
もう人もまばらだった。静かな朝だ。
私はスーツケースを引きながら、早朝の小樽を歩き出した。
これで私の初めてのフェリー旅は終わりだ。
最後に証言しておこう。
こうしている今も、どこかの海を船はゆくのだ。